前回書いたように、今回自分は再入学なのですが、ほぼほぼいろんなことを「日本人気質」で余計な時間をかけてきてしまったなと思うことがあります。
タスクを全部やれなくてもDropしなくていい
これは最初の入学のときですが、時間がなくて全部のタスクを1週のうちにやれないことがありました。
しかも、ひとつのエッセーでも日本人にとってはの工程が多く時間が取られます。
リーディング
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参考文献探し
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読む
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理解する
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構成考える
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文章化する(日本語であたまのなかで)
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英語化する
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間違いがないか見直す
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citaionなど
いまほど機械翻訳が使えない時代だったので、意味の確認だけでも機械翻訳、、、ということが難しかったので、Grammarlyを活用するくらいでした。
(Grammarlyもいまよりは使いにくかった)
そうすると、提出できないWeekとかが出てきたりします。
もちろん、全部やれるようにスケジュールできるのが一番いいんですが、仕事しながらだとそうもいかないときもあり、こどもの用事や体調で影響されることも。
で、なぜか勝手に何回か課題できなかったら、そのコースは続けられない、と思いこんでいたのですよね。
単純に考えると、課題ごとの点数の割合が示されているから、その配分で単位が取れる点数になればいいわけで。
しかし、Drop or withdraw しないときに、いくつか課題できないときは、甘んじて点数ゼロを受け入れるべきだと思っていたところがあり。(仕組みはわかっているんですが、単位が取れればとりあえずは!と、うまく力を抜いてやる、というマインドが育っていなかったようで💦)
日本人は完璧主義、、で時間を無駄する。
放っておいた、コースの単位の影響を解消している今、実感していることです。
完璧じゃなくても出さないより、出す方がいい
とも関連するのですが、ひとつひとつの課題について。1、
調べきれなかったり、英語の間違いをチェックする時間がなかったり、、。
で完成度が低い状態、間に合わない状態のときも多々あります。
そうすると、どっかで「出しちゃいけないんだ、このクオリティは」と思ってしまう自分がいるのですが、
明記されている提出の方さえ(笑)無視して提出しているクラスメートなどもいます。
出さない限りは、インストラクターには、ぎりぎりまで頑張ってムリだったのか、最初からやる気なかったのか
判断が付きません。オンライン、違う国だからなおさらです。
ここまでできた、というのを出さない限りは「頑張ってない」ひとと同じ評価になる。
確かに中途半端に出してしまうと、WAなどでクラスメート(ネイティブの)から指摘されるし、peer assessment下げられるし、気分も落ち込むんですが、それでも出さないとゼロなら、文字数しか満たしてなくても(笑)とりあえず出す!が大事だと知りました。
陰で努力をしていても、遠い異国の地には伝わらない、形で示す必要がある
ちゃんと文句を言う
今回はまだ遭遇していないですが、前回入学のときの生物学のインストラクターがひどくて、辞めてから大学インストラクターの評価を見れるサイトで見つけたら、評価がひどかったひとにあたったことがありました。
指示がわかりにくかったり、リンクが開けないとか、あるけれど
日本人である自分は(笑)自分のパソコンや調べ方が悪いのかな?と思って、質問をしないわけです。
そして、課題が出来なかったとしても言い訳もしないわけです。
まあ、一部質問もしたけど、プライドが高い感じで間違いを認めない感じ。
今なら、大学側にインストラクターが良くないのでかえてください!ってメールすると思いますが(変わるかどうかは別として)当時は自分がアメリカの大学システム詳しくないのがダメなんだ、、、と思ってたので、アピールなどしませんでした。
我慢は美徳じゃない。間違っていることはアピールしないと、自分の不利益になる!
気軽に質問する
カタログに詳しくは書いてあるのですが、流し読みではわからないこと、イレギュラーなことって結構あります。
前はカタログをじっくり読み混んで、表記があるかないかまで確認してから質問をしていたのですが、それは生徒の仕事じゃなくて、窓口のお仕事(お給料をもらうひと)で全体像を知っているプロ。
どこにかいてある内容かを指示してもらうだけでも生徒には助かります。
それに悩んだり、探したりしている間に、時間が過ぎていく。
それはもったいないので、簡単にリサーチをかけて読んだあとの疑問点はさくっとアドバイザーに質問するようにしています。
そのほうが次の行動がわかりやすいし、相談する側が思い悩むほど、アドバイザー側は気にしていない。
(さすがに毎日メールするとか、返信1日も待てない、とかだったらうるさがられるだろうけど)
常識の範囲内ならさくさく質問したほうがいいです。
時は金なり。疑問を解消して時間を節約!
奨学金に遠慮しない、ダメかもしれないのだから試す
学び、って余力でないとできない部分があって、特にこどもの教育ではなく自分の学びにお金をかけられる人って、恵まれているなと思います。
自分の家庭環境では、Uopeople以外の大学なら勉強できないです。
社会人入学とかで頑張っているともてはやされがちだけど、その前にそこに通える余裕を持てる環境だということ。
能力はあるのに学べない家庭(親も子も)はたくさんある。そういう環境から学歴以外でも(資格や仕事に関することでも)学びを続けるほうがよっぽどえらいと感じる。
教育ローンや奨学金だって、その土台となる保証が家庭(育った家庭や家族)にあり、時間やエネルギーを捻出できる環境にある(もちろん工夫は必要だけど)。その前提条件が満たされていない場合は、
「学び始める」
という選択肢さえ、あたまに浮かばせることはできない。だって、生活がままならなくなるから。
ほんとうはそこを国がしっかりやって、キャリアチェンジのためなら、生活を一時期気にせず、学ぶことができるシステムを整えるべきだと思うけど。
ハローワークで出てるようなやつじゃなくて、もっと総合的な視点からの。
で、たしかに日本のなかではそうなんだけど、
じゃあ、山奥から学校に何時間もかける必要がある国や、難民の方と比べて、
日本に住んでいて奨学金なんて要求しちゃダメなんじゃ??
って思ってしまう。
支払える可能な額も、食費切り詰めればどうにかなるなら、多めに書いたほうがいい?とか
借金あるけど日本だからどうにかやっていけるから奨学金申し込む立場にない、、、とか思ってしまいがち。
その判断は、相手側がやってくれるので(笑)まずは出してみる。バブル時代、円高時代なら、ともかく現状日本も、教育に関して貧しい状態だと思います。
比較はせず、事実だけ伝える。答えが出るまえに自分で判断してあきらめない
まとめ
日本人の我慢強さ、とてもいいことだと思うのですが、それは大事なときに使いたい。
権利を主張すべきところでは声を上げないと、「権利がいらない」と解釈されてしまう。
そして、不利益も被ることもあるので、主張はきちんとしていくことを心がけないとなと、
客観視できたのは、一回めの入学から時間をあけて再入学したことの利点ではあったかなと思います。
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