今回一番古いUopeopleのメールいつ頃かなー、と探してみたら2015年の年初めあたりでした。
8年、ということは続けてたらとっくに卒業してたなーと思いつつも、一回辞めているからヘルスサイエンスにできたんだろうなという思いもあり、まあこうなる予定だったんだろう、とも思います。
ここ数年、急にuopeopleの日本人学生が増えました。
おそらくコロナの影響で、自宅でできる学びや仕事が注目されたからでしょう。
特集やイベントなどをする人も増えたようです。
*「授業料は!」タダなんですよね(笑) でもこれはMoocsとかedXもある意味そうで、certificate(証明)にお金がかかる。
なぜあまり気軽に広まってほしくないか
秘密にしておきたい、ニッチなものにしておきたい、というのではなくてですね。
というのもあまりにもニッチだと、卒業したときのその価値というか、他の大学に移行できるとか、大学院に行けるのかとか、そういう信用度問題があるので、「大学」としてはある程度広まらないと、社会的信用を十分に持った学位にはならないので、その点はどんどん広がっていただきたい。
現に一番最初に入学したときは、移行のシステムすら整ってなかったり、一部の大学しかOKじゃなかったりしたわけですからだいぶ地位が上がったと思います。
モンゴルの山奥から学ぶ
なぜか今回記事を書くのに情報リサーチしても、探せなかったのですが、最初にUopeopleを見つけた当時、モンゴルの山奥の生徒の話しが良くされていた(記事?になっていた)記憶があります。
英語も記事もじっくり探したら出てくるかもしれませんが、2013~2014くらいだと思うので、根気が必要かもしれません(笑)
今TERMからだいぶ、サイトの仕様が変わっていますが、2015年当時だとまだまだ、student portalが永遠にぐるぐるしてたり、投稿したはずの課題がページが固まったりして消えてしまう、というようなことも結構ありました。
もっと見栄えよく、画像とか、ツールで効率よく、もプログラミング的にはできた時代だと思うんですが、そうするとネット環境が乏しいところでは表示されなかったり、動かなかったりする可能性もあるわけで、全世界に標準化しようとすると、「難しい」ところに焦点をあわせなきゃならないんだろうなと納得感はありました。
ネット環境があまり安定しない地域でも、テキスト中心の画面ならあまり差はなく表示できるだろう、というのがあったのではないかなと時々消えてしまう課題に絶望しながら思ってました。
シンプルだったからこそ、ニュースになってたはずのモンゴルの山奥(もしかしたらUopeopleではないのかもだけど💦)からも学べる、という教育の機会を全世界に広げられたのだと思います。
ある程度全世界のネット環境水準が上がった
ここ数年で、一気にネット環境って広がりました。
発展途上国と言われるような国でも、スマホだけは持っていたり。
ある程度、国民同士の貧富の差はあれど、国の違いでネットへのアクセスの差は今までに比べて格段になくなりました。
ネット環境、という点だけを切り取れば、教育の機会にアクセスしやすさはあまり格差がなくなったということでしょう。
では、ネット環境以外の格差は学習に影響しないのか
ハード面の差はある程度埋まった現代、ほんとに差はないのか、という点で、ちょっと広まってほしくないモードが発動してしまうのである。
前に
こんな記事を書いたことがあるのですが、この部分と重なります。
最近増えている学生のバックグランドは
・社会人で働きながら
・学生で転学、もしくは高校卒業して直に
・子育て中に大学院を
・すでにエンジニアとして働いているが学位取得もするため
という方が多くなってきた気がします。
これからの時代のキャリアチェンジ、リカレント、リスキリングとして全体としてはいい流れだなと思っています。
ただ外資系やグローバルが、インター出ている人のテリトリーな気がする地方民の疎外感(ほんとはそうではないのはわかっているが)と似たようなものが発生していきそうだなと思うからです。
なんというか、自分には縁のない世界、別の世界のことなのだな、と感じさせる要素が強くなっている気がするのです。それは誰がどう、というのではなく、単に生徒の属性の割合の問題だと思います。リスキリング、キャリアチェンジとしてUopeopleを活用するひとが増えたことで、その一歩手前の「高等教育を受ける機会」という用途でUopeopleを見つけにくくなっていると感じるからです。
ネット環境以外の差ってなにか
日本だと、ネットにたいていアクセスできるんだから、教育の機会の差なんてそんなにないんじゃないの?と思うかと思います。
パソコンも中古で買えば安いし、google翻訳とか使えば無料ですし、そういう環境設定の意味ではそんなに差がないかもしれません。
ただ、キャリアチェンジまで繋がるための、学位取得、卒業、となると話しは別です。
仕事と学業、平行するのももちろん大変なのですが、少なくとも仕事も学業も「一人の時間」を取れる時点で、卒業の目途は立てられます。
問題は、時間の資産がない環境の場合です。
これも一概に端的には示せません。単に「子育て中」といったとしても
・両親揃っている
・共働き
・補父母がいざとなったサポート可能
・預けたりできる金銭的余裕
・育休後復帰を心配しなくていい職種か
などありますし、介護中、といっても
・ディサービスなどに送ったあとは時間がある
・介護する人が家に入ってくれている
のと
・診断書がつかなくて、福祉サービスが受けられない
・体はそんなに悪くないが、精神的にトラブルがあり目が離せない
では時間や余力が変わってきます。さらに仕事の大黒柱を担っていことも多いです。
スキマ時間でもできるじゃないか、と自己啓発本は言ってきそうですが、ひとはなにかあたらしいことを学ぶにはエネルギーが必要です。
一日中、神経張り詰めて誰かを世話したあとに、スキマ時間があったら、将来のことを考えていたとしても、今ちょっと眠りたいし、休みたいのです。
そういう差って絶対あって、その環境では、「リスキリング、リカレント」なんて余裕がありません。いつか、この状況が変わったら、と先に希望を抱いて毎日すごすしかありません。
ましてや通うような高等教育や、たくさん費用が掛かるところは無理。
だから、Uopeopleは、自分のエネルギー配分さえ、どうにか工夫できれば、どんな環境の人でも挑戦できる学びの機会だと思っていたのです。
だから、キャリアがすでに安定している状態(介護中とかに比べて)でのリカレント、リスキリングの割合が増えることで、本来「高等教育の機会」にリーチしてほしい人、環境を変えることが切実な人、が気おくれしてしまうような学校にならないか、という懸念からちょっぴり広げてほしくない、と思ってしまったりするのです。
卒業の価値
たぶん、資金とエネルギーと、時間がある人は卒業も、それなりに頑張れば達成できるものだと思います。
しかし、上記の環境で勉強を続ける場合、そもそも、神経をこどもや介護に向けたまま、自分の学習にも集中しなくてはならないという状況が発生します。
子育てといっても、難しさは家庭によります。
youtubeや教育テレビを見せていれば静かになるとわかっていても、それをさせたくない家庭もあります。
介護も人に任せれば楽なところを、断固拒否する家庭もあります。
そんな状態なら、勉強なんてできないし、やんなきゃいいじゃん、、と思う人もいるかもしれないですが、
「学びたい」「キャリア変えたい」「将来明るくしたい」
はMBAとか、海外就職を考えている層だけの願望、ニーズではありません。
そういう状態だからこそ、変えたい。
だけど現実問題、時間・エネルギー。などの問題があります。だから、こういう状況で卒業できなかったとしても、それは卒業できた人に比べて劣っていたわけではないと思うのですよね。
もちろん、卒業できたひとが恵まれていただけ、というわけでもなく、それなりに努力しないと卒業はできません。ただ、現実問題、環境が難しい状態で学習を始めて、それが卒業まで届かなかったとしても、それを卑下する必要はないのだと思います。
数年後、なにかに繋がることもあり、きっと実体験を活かしたより深い、良い学びに繋がると思うからです。